東京ふうが64号(令和3年冬季・新春号)

韓国俳句話あれこれ 9

本郷民男

▲ 荷物を担ぐ人

 1926年の『朝鮮俳句一万集』の、春の句を見て行きます。
荷を守りて眠れる擔軍や風光る 風零子
鳥の巣や空チゲ据えて居眠れる 日想子
 チゲは担ぐものの意味で、背負子のことです。木がナムで、木こりがナムックンのように、それで労働する人に、クンという語尾を付けます。そこで、チゲを担ぐ人をチゲックンと呼び、それに擔軍と当てました。擔は担ぐ意味で、それにクンを思わせる軍を付けた面白い日本製熟語です。初めはチゲに擔軍を当てたと思いましたが、「チゲ軍」という用例を見つけ、擔軍はチゲックンだと知りました。擔軍はチゲと読ませ、意味がチゲックンです。北風を「きた」と読ませて季語にしたのと同じです。チゲックンは、日本のぼてふり棒手振つまり、天秤棒で物を売り歩く人に近いです。ところで、角川源義さんのお父さんは、棒手振から財をなし、そのお陰で源義さんは大学に行けたし、角川書店を設立できました。源義さんはお父さんの天秤棒を家宝とし、会社で天秤棒を手に訓示したそうです。

▲ 汗で動く乗り物

春月の町へ散りゆく俥の灯  京城 宏堂
 俥は人力車にあてた国字です。日本人の行くところ、人力車も進出しました。慶州市の中心街に山口医院の建物が残っています。向かいに集賢殿跡という、朝鮮王朝時代の遺跡があります。国王の肖像画などを保管した、横穴式石室のような遺構です。一九四五年まで、山口医院の往診用人力車の車庫にされました。
春風の橋にかかりし婚輿かな 京城 古楠
彩輿の寂と過ぐるや梨花の雨   緋紗穂
 婚輿は、コッカマに充てた語です。輿をカマと言い、それに花のコッを付けた語です。彩輿を充てることもあります。名のように美しい輿で花嫁専用です。慶州で、短簫という笛を習った時に、若い先生が慶州郷校で古式の結婚式を挙げました。ヒャンギョ郷校は朝鮮王朝時代の国立大学で文化財ですから、特別に許可されたようです。コッカマに乗った花嫁など、時代劇のような式を見ることができました。新郎は馬で登場するのが本来ですが歩いて登場で、そこだけうまくなかったです。

(つづきは本誌をご覧ください。)